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岡本博文 | スタジオラグ
HIKARU | スタジオラグ
岡本さんと私とはもう古すぎるくらい古いよね。初めて会った頃は岡本さんはまだプロとしてもハシリくらいだったのかな?
岡本博文 | スタジオラグ
プロという感じじゃなかったね。ライブハウスによく出てる、お兄ちゃん。
HIKARU | スタジオラグ
渡辺香津美(Guitar)さんがRAGにいらした時も、一緒に打ち上げでデュオさせててもらったり。
岡本博文 | スタジオラグ
何をやっていいか分からなかった。側に居れば、なんかいいことあるんじゃないか?参考になる意見が聞けるかも?くらいなもんで。
HIKARU | スタジオラグ
それから、村上“ポンタ”秀一さんとバンドしたりとか。
岡本博文 | スタジオラグ
20代後半とかはわらしべ長者的だったよね。一番最初にRAGの社長の須田さんが「岡本、お前は頑張っているし、京都代表でギター弾いてみい」ていってセッションやって、それから色々な人と顔が繋がって。「ベース誰かいないでしょうか?」って言ったら「バカボン鈴木がいるやん」って紹介してもらって。「ええっ、いいんですか!」みたいな(笑)。「ドラム誰がいいでしょう?」って聞くと「ポンタさんはどう?」と。「ポンタさんって!いいんですか?」で、ポンタさんに「パーカッション誰がいいんですか」って言ったら「ヤヒロトモヒロでいいんじゃないかなぁ」と。「でいい」って(笑)
HIKARU | スタジオラグ
RAGでジョン・スコフィールドに会ったのもその頃?
岡本博文 | スタジオラグ
僕ギター始めた頃からスゴいジョンスコが好きで、ジョンスコに「どうやったらあなたみたいにギターが弾けるんですか?」って聞くと「僕みたいに弾いてもしょうがないじゃない」って言われて「ガーン」となった。「頑張れよ」とか言ってもらえるのかと思ったら、「なぜ僕の真似をする」と。「僕NYで演奏したっていうカセットテープを持ってるんですよ、友達が録音したの」って言ったりしても「それをコピーしてもいいけど、何ヶ月前かに僕がしたことを、後からなぞっていくだけ。僕の何ヶ月後しかついてこれない」「君は君らしいギターを弾かなきゃ」「僕もジョン・マクラフリンや、すごい速弾きのパット・マルティーノとか、そういう風に弾きたかったけども、全然あんな風に弾けない。ある日それをやめてから、すごく幸せな人生を送っています」って言われて。まだ、そんなに彼が有名でない頃だった。
HIKARU | スタジオラグ
ジョンスコには活動初期の方で会えてしまったんだよね。その後ポンタさん達とやって、その後ってどうだっけ?
岡本博文 | スタジオラグ
自分のプロジェクトみたいなのはあんまりせずに、ホルヘ・クンボ(ケーナ)とか。ヤヒロ君とバカボンさんと3人でやった時期が長かったかな?で、アストロリコがでてきて、タンゴやったり。最近は赤木りえさんと出会ったのがけっこう衝撃的で。あれからラテン系の人脈にど~っと。プロディフィオという人と去年やったり。
HIROCK | スタジオラグ
岡本先生の音楽変遷の中で、「今」というのはどういう位置づけなんでしょうか?自分の音楽がノッてきた、という感じですか?
岡本博文 | スタジオラグ
そうだね、もう地球一回りしたんでね。だから、自分の音楽するしかないなと思ってて。3年くらい前にOkamoto Islandの構想を考えたんだけども、世界中の色々な人とやっていると、結果的にファンクやってもブルースやっても、何をやっても結局岡本のメロディしか出て来ないんだな、というのが実証されたね。それはやっぱり日本人の心やね。日本語で育って、日本語の歌詞に泣いて笑って、ていうことの中で生きてきてるんで、ユーミンの「青春の 後ろ姿」ってフレーズに「く~っ」ってなる感じ。音楽的には、黒人のゴスペルシンガーが、悲しい曲をシャウトしてると、かっこいいな、とは思うし、出来るんだけど、自分が表現するとき、これが、自分のファースト=オピニオンでは、ないな、と。
HIKARU | スタジオラグ
世界を一回りして、今ここに立っている岡本さんと、実証できてるからスゴいよね。そういう風に自分を世界にあててきて思うこととして、人に伝えていく、教えて行くことも、だんだん大きくなっているんですか?
岡本博文 | スタジオラグ
「人に伝えていく」っていう立場になったと思いますね。
HIROCK | スタジオラグ
自分の遺伝子を受け継がせて行く、みたいな思いもあるんですか?
岡本博文 | スタジオラグ
思いますよ。京都はコアな音楽ファンが多いところで、全国的に見てもね。ブルースファンがいて、ジャズファンがいるんですよ。ジャズ以外聞かない人、ブルーズ以外聞かない人、がすごく多くて。それで本格的な音楽と言われることも多い。だけど僕はそういうところからちょっと離れたところで生きてきて、でもいつの間にか京都のミュージシャンになっている。京都に在住の巨匠の方々に、どこか引け目を感じて生きてきたんだけども。でも今考えてみると、こういうやり方でここまで生きてきた自分が、京都の音楽シーンの重しには絶対なりたくないという思いがあるね。むしろこれから未来志向で京都発、色んな音楽をやって出て行く人間を育てるというか。
HIKARU | スタジオラグ
諸先輩方が重しだった?
岡本博文 | スタジオラグ
いやいや。自分が後輩に対して重しだったんじゃないかと。年上の人間がそれにあぐらかいちゃ絶対駄目だと思うんだよね。年上の人間が一番先頭立って、負け試合するなるするで勝負していかないことには。
HIKARU | スタジオラグ
岡本さんがあそこまで頑張ってるんだから、僕らが頑張らへんことには、って感じ?
岡本博文 | スタジオラグ
奮い立たしてくれる人間で居ようと思ったのね、何年か前。それまでは僕はブルースで生きて来た訳ではないし、ジャズばっかりやってる訳でもない。自分で作曲したものを演奏することが、自分の道だと感じて、フュージョンという色んな音楽が混ざったコンセプトで自分のオリジナルを作ってやってきた。それぞれの専門家に対する引け目もあった。だけどもね、人を泣かせたり、笑わせたり、踊らせたりっていうのを一生懸命やることに、ジャンルはもう関係ないな、と分かったんだよね。それだったら僕の人間としての価値が同じなんであれば、一生懸命ギターを弾けば何かしら答えがでるんじゃないかと。そう考えたら、レッスンするのにも何するにも、プライドが出てきたというか、自信が出てきたというか。音楽学校で以前教えた頃には「どうやったらプロになれるんですか」とか「プロになる方式は」という風なのを教えようと一生懸命努力してた。だけど、そうじゃなくて、一人のレッスンするミュージシャン、後輩に向かって何かいいことをいうミュージシャンとなろうとした時に、全然スタンスが変わった。なるべくその人達自身が、満足していい音楽ができるっていうのを、ひとりの人間として完璧にサポートするには、どうすればいいか?と。
HIKARU | スタジオラグ
今のスタンスとして?
岡本博文 | スタジオラグ
プロになる、ならない、の問題じゃなくて。どうやってプロになるんですか?って、言われても、うちの本分は、ギター教室ですから。ギター教室で何をするかっていうと、メチャクチャギターが上手くなる。メチャクチャ上手にギターが弾けるようになる人を量産する。たくさん、サポートする。「こんな曲も出来る」「こんな曲も出来ちゃった」「新しいジャンルも出来ちゃった」みたいな人をたくさん作って行けば、それがいい先生じゃないかと。どうやったらプロになれる、どうやったら月収が上がる、ということじゃないよね。それをやっちゃうと、この月収を得るためには、ブルースが弾けて、ジャズのコート進行も読めて、譜面も読めて、リズムしっかりとれて、アコースティックギターも弾けて、ボサノバも時々弾けて、という風にそれくらいできなきゃ職業にはならないよ、っていう教え方には全然夢がないなと思って。全部ゼロになって一番最初に生徒が来た時に、この人のために何が自分は出来るだろうって思ったことが始まりだったね。
HIKARU | スタジオラグ
HIROCKは今実際にスタジオの看板娘としてギター教室を見ていてどう?
HIROCK | スタジオラグ
普通の音楽教室だったら、教室の中に先生がずっと居て、生徒さんだけが行き来しているイメージがあったんですけど、岡本先生は帰るまでずっと一緒にいてあげるという光景をよく見るんですよ。ホントに一番不思議なのが、年齢層がスゴく広くて、一番下の子で小学校3年生から、社会人のおじさんの方まで。小学校3年生の子には、挨拶の仕方とかも教えてあげたり(笑)。岡本先生の生徒さんとのやり取りを見てても、ミクシィで「マイミクになろうよ」と言って皆に必ず紹介文を書いてあげてたりしていて、すごい一人一人を大事にしてはるんやろなって思います。
岡本博文 | スタジオラグ
結局ギター教室ってどうやったって上手くなるんだわ、ギター弾いてりゃ、誰が教えたって(笑)。努力する人は上手くなる。むしろ努力の仕方や方向が拡散して、本人が幸せにならないのが問題なんだな。例えば、「あれもやりたい」「これもやりたい」って、結局自己破産するんだね、手を広げ過ぎて。一番好きなものになれたらいいじゃない。一番好きなものが何かと言うことを忘れないことね。
HIROCK | スタジオラグ
岡本先生のおっしゃる、「Dream come ture = 夢は必ず叶う」ということですね。
岡本博文 | スタジオラグ
夢って言うのは、何に一番なりたいですかっていうこと。一番ってやっぱ一つしかないのよ。一番好きなのはロックだっていうなら、ロックそれでかまわない。それで好きなバンドに近づいたりそれを超えるように頑張ればいい。ところが人間て目標を失わないって言うのが、一番難しい。それを忘れないでいるっていうか、夢を持ち続けてブレない、っていうのがスゴい大事。夢ってのは持ち続けるもの。それは禁煙と同じくらい難しいんだけど。ただ持ち続けるだけ。それがあれば、毎日、「俺ちょっと近づけなかったな今日、世界一のボーカルに」って思う機会があるから。夢があってそれがブレなければ、後はやめないだけ。泣いてても笑ってても、ギター弾いていたら上手くなってんねんもん。本人がごちゃごちゃ考える考えないに関わらず。あーでもない、こーでもないって弾いてたら考えるさ。工夫もする訳よ、人間。 [次のページへ]

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プロフィール

岡本博文

ギタリスト

ジャズ&フュージョンギタリストを原点にしながらも、その活動は多彩を極める。エレクトリック、アコースティック両方で、高い評価を得ている。1960年広島市生まれ。(現在京都市内在住) 同志社大学在学中よりギターをはじめる。

1987年、プロ活動に入る。
「Live Spot RAG」を中心に是方博邦、野呂一生、石田長生等と共演。

1992年、WEAより「チャンクヒルズチルドレン」にてアルパム『チヤンク』を発表するとともに、自己のパンド「岡本博文ニューギターバンド」を結成。

1993年、古谷充ニュープロジエクトに参加。

1994年、自己のバンドに村上ポンタ秀一(dr)石橋敬一(b)を迎え全国ツア一。その後、パーカッションにヤヒロトモヒロもレギユラーに迎え定期的にツアーを行う。

1997年、自己のパンドに桜井哲夫(b)を迎えツアーを行う。渡辺香津美と共演、ツアーを行う。

1998年、ケーナの巨匠、ホルへ=クンボのツアー参加。イタリアの歌姫ミルパと共演。

1998年、11月、村上ポンタ秀一プロデュースで、鬼怒無月(ギター)ヤヒロトモヒロ(パーカッション)村上ポンタ秀一(ドラムス)グスタボ=グレゴリオ(ベース)バカボン鈴木(ベース)を迎えて、ソロアルバム『JAWANGO』を発表。

2000年、ブエノスアイレスにて、ファン=ファルー(G)にフォルクローレを師事。タンゴをペドロ=アギュラーに師事。

2001年、RAG International Music Co.,Ltd.の所属ミュージシャンとなる。 NYにてアルゼンチンのロックスター、ミゲール=カンティーロと共演。NY、ボストンにて、ジーン=バートンシーニー、ブレット=ウィルモットにコードワークを師事。日本でも数少ない本格的タンゴバンド『アストロリコ』と活動をともしており、近年、日本でも数少ないタンゴの伴奏者としても、貴重な存在になっている。近年は、自己のオリジナルバンドとして、ヤヒロトモヒロ(パーカッション)、バカボン鈴木(ベース)との『JAWANGO TRIO』イスラエル=セデーニョ(ベース)佐伯準一(キーボード)とのエレクトリックのプロジェクト。その他、土岐英史(サックス)、赤木りえ(フルート)、小川 紀美代(バンドネオン)、田中峰彦(シタール)さまざまなセッションで活躍中。またスタジオラグでギター教室の講師を務める等、多彩な活動を行っている。


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