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ビートルズはどのように誕生したのか?メンバーとの出会いから結成まで
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ビートルズはどのように誕生したのか?メンバーとの出会いから結成まで

世界で最も有名なバンドとして、多くの歴史を築き現代の音楽スタイルを広めるきっかけとなったビートルズ。

どのようにして結成されたのでしょうか?

まず出会いからのストーリーを紹介したいと思います。

4人ともリバプール出身

メンバー全員がイギリス北西部にあるリバプール出身というのは驚くべきことです。

しかも、実家もかなり近いです。

天才4人がこの狭いエリアに同世代に生まれ、しかもメンバーになったこと自体、奇跡としか言いようがありません。

また、4人とも労働者階級出身だったことも共通しています。

ジョン・レノンがすべての始まり

すべての始まりはリーダーのジョン・レノンでした。

1957年3月に当時16歳だった彼が、「ザ・クオリーメン」という名のアマチュアバンドを同級生たちと一緒に結成したところからビートルズの歴史がスタートします。

バンド名の由来は、彼が通学していた「クオリー・バンク高校」からきています。

メンバーは、ジョンの同級生で構成され、アマチュアバンドですから入れ替わりも激しく、ほんのちょっと加入していただけの人もいました。

1957年7月6日、セントピーターズ教会でのお祭りがあり、そこで彼らは初めて人前で演奏することになりました。

ポール・マッカートニーとの運命的な出会い

ポール・マッカートニーは、友人に誘われお祭りに行き、ステージで演奏するジョンを初めて見たのです。

ジョンは、少し前にヒットしていた「カム・アンド・ゴー・ウィズ・ミー」を歌っていましたが、それを聴いたポールは驚きました。

何とジョンは、歌詞をちゃんと覚えておらず、適当に歌っていたからです。

しかも、彼はギターを弾いていましたが、それはバンジョーのコードでした!

いくらアマチュアバンドとはいえ、大勢の人前で演奏するんですから、普通は歌詞もコードもちゃんと覚えるところですが、ジョンはそんなことはお構いなく堂々と演奏していました。

ポールは、いささかあきれながらも、その破天荒振りにむしろ魅力を感じたのです。

そして、演奏が終わった後、ポールは友人の紹介でジョンと初めて会いました。

ついに2人の天才が運命的に出会ったのです。

ポールは、いくつかの曲を正確に演奏して見せました。

歌詞もコードも完璧に覚えていたことにジョンは感心し、その才能を認めたのです。

2人は、早くに母親を亡くしていたという境遇が似通っていたこともあり、たちまち意気投合しました。

そして、ジョンは、ポールに自分のバンドに参加するようすすめ、2週間後にポールが加入しました。

これでまず2人がそろいました。

ジョージ・ハリスンの加入

さて、次はジョージ・ハリスンです。

彼は、ポールより年下でしたがすでに友人でした。

そして、子どもの頃からギターに夢中になっていて、1958年2月、ポールに誘われジョンのところへ連れて行ってもらいました。

ポールは、ジョンにジョージを紹介し、バンドに加えるようすすめたのです。

しかし、ジョンは「おいおい、冗談だろ?まだ子どもじゃないか!」と拒否しました。

まだあどけなさの残る15歳でしたから無理もありません。

しかし、ポールは「いや、こいつはローンチーを弾けるんだ」と説明しました。

ローンチーは、結構テクニックが必要な曲でした。

これは、1995年にポール、ジョージ、リンゴが当時を想い出しながら演奏した時のシーンです。

https://www.youtube.com/watch?v=TFiyJhEGUEM

ジョンが「まさか。ローンチーが弾けるヤツなんているわけない」と言ったので、ポールはジョージに促して弾かせました。

すると、見事に弾いてみせたのです。

ジョンはジョージのテクニックを認め、バンドに加入させました。

ジョージはジョンを兄のように慕い、彼が行くところにはどこにでもついて行ったため、ジョンもいささか閉口しました。

いよいよプロの道へ踏み出す

彼らは、プロとしての仕事を紹介してもらうために、ジャカランダというクラブのオーナーだったアラン・ウィリアムズに依頼します。

ビートルズのマネージャーとしてはブライアン・エプスタインが有名ですが、実は、初代のマネージャーはこのウィリアムズだったのです。

1960年5月にブルー・エンジェル・クラブでオーディションを受け、仕事がもらえました。

これをきっかけに彼はビートルズのマネージャーとなりました。

しかし、プロを目指していたのは3人だけで、ドラマーだけはなかなか定着せず、このことが彼らを悩ませていました。

そこで、1960年8月、当時良く出入りして演奏もしていたカスバ・コーヒー・クラブという喫茶店のオーナーの息子のピート・ベストを誘って加入させました。

ようやくこれでバンドの構成が整いました。

そして、ウィリアムズの紹介で「キャヴァーン・クラブ」で演奏することになりました。

1961年2月21日のことです。

クラブのオーナーだったレイ・マックフォールは、彼らの演奏を聴いて彼らの放つ圧倒的な存在感に衝撃を受け、即座にクラブのレギュラー・バンドにしました。

恐らく、このマックフォールがビートルズの才能に最も早く気付いた人物だと思われます。

あれ、リンゴ・スターは?

でも、ちょっと待ってください。

ビートルズのドラマーは、確か、リンゴ・スターだったはずですよね?

彼の名前が出てきませんが……。

実は、彼がビートルズに加入したのはもう少し後になります。

彼は、その頃「ローリー・ストーム・アンド・ザ・ハリケーンズ」という別のバンドのドラマーだったんです。

ビートルズがようやくプロとしての道を歩み始めた頃には、すでにハリケーンズはリバプールでは名の知られたビッグ・バンドでした。

そして、リンゴは当時からとても人気がありました。

売れっ子のリンゴは、自分の車を持って乗り回していたんです。

その日暮らしのジョン、ポール、ジョージの3人は、カッコいい彼の姿をただただ羨望(せんぼう)のまなざしで見ることしかできませんでした。

「いいなあ~俺たちも早く売れたいなあ~」ビートルズは、ハリケーンズには後れを取ったものの、キャバーン・クラブで毎日ランチタイムとディナータイムのショーに出演するようになり、徐々に売れ始めて女の子達にもモテるようになりました。

特に、ドラマーのピートはイケメンでしたから、一番人気があったんです。

しかし、彼らがブレイクするにはまだ何かが足りませんでした。

そう、リンゴがまだ加入していなかったのです。

彼というワンピースが加入してやっと「ザ・ビートルズ」というジグソーパズルが完成することになりますが、そのお話はまた次回に。

ライタープロフィール

和田晋司

ビートルズの熱狂的ファン

和田晋司

大阪府出身 ビートルズのファン歴ウン十年。

色んなものに手を出しましたが、唯一続いている趣味がこれです。

ビートルズの語り部として彼らの偉大さを後世に伝えていきたいと思っています。

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ

ウェブサイト:http://abbeyroad0310.hatenadiary.jp

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