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音楽と平和。楽器と戦争の歴史
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音楽と平和。楽器と戦争の歴史

身近にある楽器の歴史を振り返ってみるとその意外な誕生の歴史、そして時代背景が見えてきます。

あのヒトラーも演説で使用したマイクメーカー「NEUMANN」

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http://www.ericstang.com/photos/gear-and-recording

レコーディング現場では必ずといっていいほど見かけるNEUMANNのマイク。

戦時中は「大衆を指揮する」目的で、マイクの特性を最大限生かした兵器としても開発されました。

いまや世界有数のマイクブランドとして認知される『NEUMANN』の歴史は第2次世界大戦以前にまでさかのぼります。

最初に有名になった製品は戦時中に軍用として開発されたマイク『CMV 3』。

これはあのヒトラーも演説で使用し、今も写真等で確認することが出来ます。

CMV 3は特徴的な中域を持つ真空管のマイクでした。

http://www.miroc.co.jp/adv/archives/42656

ピアノを使った戦闘訓練

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http://www.musiquity.me/piano-lessons-buying-a-piano-newvused/

戦時中は、今では考えられない訓練が行われていました。

日本軍は前述のように兵士が潜水艦のソナーや戦闘機の音を聞き分けられるように訓練するための「音感教育」としてピアノを使って聴音の訓練を行いました。

毎日1時間、和音を聞き分ける訓練をさせられたそうです。

それに対してアメリカ軍は戦地にピアノを持ち込み(スタインウェイが「ビクトリー・モデル」という戦地用のピアノを開発したそうです)、兵士の士気を向上させたのだそうです。

http://blogs.yahoo.co.jp/yamakami0206/59777309.html

軍事技術のレコーダー

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http://www.reeltoreel.de/worldwide/B77.htm

現代では録音技術はあって当たり前のようなものですが、戦時中にもその進化はされてきました。

軍隊のために使われたのが、きっかけになったものも多いと言われています。

ワイヤーを長くすればいくらでも長時間録音できるという利点から、米国で改良が重ねられ第二次大戦では米軍が無線通信の録音用に採用します。

一方、ドイツでは第二次大戦中にテープレコーダーが実用化され、ドイツ軍は高性能なテープレコーダーを無線通信の録音、ラジオ放送に使用します。

ドイツ敗戦と共にテープレコーダーの技術は世界に広まり、1940~1950年代にかけてワイヤーレコーダーと共に改良されていくのですが、音質、扱いやすさ、等でテープレコーダーが優位に立ちワイヤーレコーダーは消えていきます。

http://www.geocities.jp/kyo_oomiya/wirerecorder.html

楽器メーカー「YAMAHA」の歴史

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http://www.cooperpiano.com/piano-player-blog/topic/yamaha-piano-prices

楽器メーカーの「YAMAHA」が、楽器製造以外でバイクなどの開発もされていますが、それには経緯があります。

トヨタとシェアを争う『ヤマハ』、このメーカーの元となった会社は楽器メーカーであえる『日本楽器製造』です。

戦時中においては戦争特需として、軍需品の軍用機のプロペラを納品していました。

浜松の工場は戦争による被害を受け、残った工場設備は1953年まで進駐軍に接収されていました。

接収が解除されたのち、当時の社長である『川上源一』は工場設備を活かすためにオートバイの研究開発を計画し、実際に開発の一歩を踏み出し始めました。

http://www.japan-motorcycle-history.com/about-manufacturer/professional-manufacturer-machine-loom/

正露丸の「ラッパのマーク」

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http://mag.sendenkaigi.com/senden/201403/net-brand/001628.php

胃腸薬として有名な正露丸は、1880年頃、森林太郎(森鴎外)らによって軍薬として活用されました。

そして正露丸のラッパのマークは、軍隊で用いられるビューグル(進軍ラッパ)とも伝えられています。

大幸製薬の「ラッパのマーク」になったのは日露戦争で戦死した兵隊(木口小平)が、敵の銃弾を何発受けても死ぬまで進軍ラッパを吹き続けたというエピソードがあり、それが受け継がれているらしい。

さらにテーマソングに使われているラッパのメロディーは、軍隊の食事ラッパがそのまま採用されることになった。

音楽記号・楽器の読み方

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http://rittor-music.jp/saxbrass/column/tbkawahara/311

音楽記号の読み方まで制限されてた時代もあったのですね…

今でも、その名残があるようです。

第2次世界大戦が終わって日本はアメリカ軍のマッカーサー元帥が中心となるGHQに支配されました。

戦争で勝った国が戦争で負けた国を支配するのは当然のことです。

そして、支配者は自分に都合がいい決まりを作ります。

その一つとして、「音楽の記号などをすべて英語読みにするように」という命令がGHQより出されたのです。そのため、「スタッカート」は「スタカート」、楽器の「ピッコロ」は「ピコロ」と読むように指導されました。

そうした英語読みは学校教育で30年間も続けられたので、現在でもイタリア語読みと英語読みの両方が使われています。

ヴォコーダーはもともと暗号化システムだった

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http://bobsegarini.wordpress.com/2013/06/24/justin-smallbridge-deconstructing-random-access-memories/

電子楽器やエフェクターの一種として、現代の音楽でも活躍するボコーダー。

実はこれも、音声通信の圧縮技術の1つとして発表されたのが始まりのようです。

この時点では音楽的利用を図った形跡は見られない。

そして戦争開始とともに軍事通信への利用が最優先になり、SIGSALY (1942)をはじめとする多くの軍事用音声暗号化システムが同技術を採用した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/シンセサイザー

最後に

こういった歴史がありますが、わたくしは、あくまで戦争が最初ではなく「そのために応用された」という認識をしています。

多くの人が望んでいるのは、技術が進化するのは戦争なんかのためではないのは……もうお分かりですよね。

音楽を奏でそれらを平和のために利用していくのが、わたくしたちの使命ではないでしょうか。

ライタープロフィール

中尾きんや

スタジオラグ

中尾きんや

スタジオラグスタッフ

ウェブサイト:https://www.studiorag.com

Twitter:kin_kinya

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