ベースの弦を交換するタイミング、弦の劣化について
ベースの弦はギターの弦に比べて切れにくい構造になっていますが、切れたら交換するといった人はほとんどいらっしゃらないかと思います。
弦を交換するタイミングは人それぞれ好みもありますので、一概には言い切れませんが、おおよその目安や、弦の劣化について今回はお話していきたいと思います。
弦は必ず劣化していくもの
張り替えたての新品の弦は、豊かな倍音を多く含んだ、明るくきらびやかな音色で、弾き心地もハリがあって、弦の振動にも力強さを感じることができるでしょう。
それが時間の経過とともに徐々に失われていき、やがて寿命に達します。
寿命に達した状態の弦は「死んだ弦」と呼ばれます。
新品の弦に張り替えて3日~1週間ほど経過したぐらいから、張りたての状態から変化していきます。
弾く頻度、弾き方、セッティングなどをはじめ、使用している弦の種類や、湿度などの外的要因によって、寿命に達するまでの時間は異なってきます。
もちろん、弾く頻度が高いベースの弦ほど劣化は早いですが、じゃあまったく弾いていないベースの弦は劣化しないのかと聞かれれば、答えは「No」です。
保管状態にもよりますが、空気中の湿気などによって徐々に酸化し、劣化していきます。
Elixir(エリクサー)の弦のように、劣化を防ぐためのコーティングが施された弦も存在します。
コーティングされていない弦に比べて、劣化のスピードは遅いですが、決して劣化しないというものではありません。
また、新品の状態であっても、コーティングが施されていることにより、明るくきらびやかな音色や、ハリのある弾き心地を感じにくいという意見も多く、賛否両論です。
「半死に状態」と表現される人もいらっしゃいます。
完全に好みの問題になってきますので、気になる人は一度試してみてはいかがでしょうか?
死んだ弦の特徴
音色的な点から言いますと、高音域が削られたような、こもった音色になり、音の抜けも悪くなります。
楽器は単音を弾いた際でも、倍音と呼ばれる基本となる音の整数倍の周波数をもつ音も鳴っています。
倍音が鳴っているから、きらびやかな音色になります。
しかし、死んだ弦というのは倍音が失われてしまっているので、周波数成分が単純になり、新品の弦のようなきらびやかさはなくなります。
また、サスティーン(音の伸び)も失われます。
同じ弦を長い間弾いていると、指の皮脂などが弦の細かい溝やすき間に入り込んでしまったものが蓄積され、弦の振動を殺してしまうので伸びのない詰まったような音しか出なくなるのです。
そのことにより、弾いた時の感触もハリのない感じになってしまいます。
個人的にはあまり実感したことはないのですが、チューニングが安定しなくなるとも言われています。
どちらかというと新品の弦の方が、伸びきっていないため、チューニングが安定しない気がしますが、完全に伸びきってしまった状態もチューニングの安定性には欠けるようです。
ただ、死んだ弦を好むベーシストも実は結構いらっしゃいます。
ジャクソン5など1960年代から70年代のモータウン・レーベルの黄金期と呼ばれた時代の多くの作品でベースを弾いているジェームス・ジェマーソンはLa Bella(ラ・ベラ)のフラット・ワウンドの弦を何年も替えずに使用していたのは有名な話です。
気付かない間に死んでいく
弦が一気に死ぬということは基本的にはありません。
フライドチキンやポテトを食べた油まみれの手で弾いたりした場合は別ですが。
人間の耳というは、その場の状況に応じて順応させようとする性質があります。
そのため正確性に欠けており、細かい変化になかなか気付くことができません。
耳だけを頼りに、毎日弾いているベースの弦の劣化を認識するのは非常に困難です。
死んだ弦を弾き続けていると、死んだ弦の音に耳が慣れてしまいます。
それなりにハリのある、きらびやかな音色を好むのであれば、1~3ヶ月程度を目安に交換した方が良いでしょう。
その際、弦を交換した日をメモしておくことをおすすめします。
おわりに
冒頭でベースの弦は「切れたら交換するといった人はほとんどいらっしゃらないかと思います」と記載しましたが、恥ずかしながら、ベースを手にした最初の頃は切れたら交換するものだと勝手に思い込んでしまっていたので、1年以上同じ弦を張り続けて弾いていました。
知人に指摘され、初めて弦を交換した時の感動は今でも忘れません。
今でも新品の張り替えたての弦を弾くとテンションが上がります。
そういう人、結構いらっしゃるんじゃないでしょうか?
初心者で、弦を交換するタイミングが分からない、迷っているという人は参考にしてみてください。
ライタープロフィール
ベーシスト・サウンドクリエイター
Broad Person
ベーシスト、サウンドクリエイター、ブロガー。
14歳の時にベースを手にし、バンド活動を開始。
その後、大阪の某音楽専門学校へ進学。
これまでにいくつかのインディーズバンドを渡り歩き、全国規模での活動を展開してきたが、限界を感じてあえなく就職。
就職後はベースの講師業も隠れてこそこそ行い出す。
DTMにも手を出し、ひとりで曲作りも開始。
自身のペースで地道に活動中。