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ビートルズになれなかった男たち。スチュアート・サトクリフ
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ビートルズになれなかった男たち。スチュアート・サトクリフ

以前、ビートルズになれなかった男たちとして、元ドラマーのピート・ベストをご紹介しました。

ビートルズになれなかった男たち。元ドラマー、ピート・ベスト

今回は、元ベーシストのスチュアート・サトクリフをご紹介します。

ビートルズにならなかった男

正確にいうとこの人は、「なれなかった男」ではなく「ならなかった男」です。

なぜなら、彼は、自らの意志でビートルズを脱退したのですから。

ビートルズのベーシストといえばポール・マッカートニーですが、実は彼は2代目で初代はスチュアートでした。

もっとも、彼には音楽の才能はなく、画家を志望していたんです。

結成時のメンバー、ジョン、ポール、ジョージの3人はいずれもギタリストであり、ベーシストがいませんでした。

それでジョンが学生時代の親友のスチュアートを「ベースを持って立ってるだけでいいから」と半ば強引にメンバーに引き入れたんです。

これは、メンバーと一緒に撮影した貴重な写真です。

左端がスチュアート、肩を組んでいるのがジョン、一人おいてジョージ・ハリスン、ポール、ピート・ベストです。

次ページの写真で見れば分かるとおり、相当なイケメンでした。

ジョンは、彼がベースを持って立っているだけで女性ファンを増やせると考えたのです。

もともとは画家を志望していた

彼は、音楽の才能は無かったものの画家としての才能には恵まれていて、若くしてあちらこちらの展覧会で賞を得るなど既に注目を集めていました。

ジョンですら彼の才能に脅威を覚えたほどです。

ジョンも彼と同じリヴァプール・アートカレッジに通い、画才はありましたから。

それにスチュアートは、思想なども含めてジョンと通ずるところがあり、お互いがその才能を認め合っていました。

これが彼の初期の作品の一つです。

フランスの巨匠、ルオーを思い起こさせるような荒々しいタッチに類まれなる才能を感じさせます。

何とこれは、彼が21歳の時の作品だというから驚きです。

音楽と違い、油絵は評価されるまでにかなり年数がかかるのが一般ですから。

この絵に描かれている男性2人が若き日のジョンとスチュアートです。

この絵ではありませんが、彼の絵にはもう値段がついて売れたのです。

その絵でベースを購入しました。

ビートルズの名付け親

スチュアートについてもう一つ特筆すべきことがあります。

それは「ビートルズ」という歴史に残るバンド名をジョンと共に考案したことです。

彼とジョンが、すでにプロとして売れっ子になっていたバディ・ホリー・アンド・ザ・クリケッツ(クリケットとはコオロギのことです)にあやかって、同じ昆虫の「カブトムシ」からビートルズという名前を思い付きました。

クリケットとはコオロギのことですが、スポーツのクリケットに引っ掛けています。

そこで、ジョンとスチュアートもビートルズにカブトムシとビートの2つの意味を持たせたのです。

スチュアートは、マーロン・ブランドが主演した「The Wild One」という映画の中で、リー・マーヴィンがバイクに乗る女の子達のことを「beetles」と呼んでいたことにヒントを得たと語っています。

これがその映画のワンシーンです。

1分21秒辺りに「beetles」というセリフが登場します。

もっとも、最初は、あまり受けが良くなかったようです。

というのも日本語でカブトムシというと可愛く聞こえるかもしれませんが、英語のニュアンスとしてはもっと気持ちの悪い昆虫というイメージがあるからです。

そこで、スペルを1文字変え、beatlesとしました。

この頃のバンド名は〇〇&△△ズなどという長ったらしい名前が多かったのです。

というのもメインボーカルが一人いて後はそのバックバンドという構成が多かったからです。

それに比べ、beatlesという名前の何とシンプルなこと!

キャッチーな名前は、売れるための一つの重要な要素であることが良く分かります。

これは私の勝手な憶測ですが、スペルをワザと変えて造語をバンド名にしたのはビートルズが初めてではないでしょうか?

そして、このことは単にバンド名を表すだけではなく、もはやこれからのバンドは、一人のメインボーカルを主体とするワンマンバンドではなく、メンバー全員で一つのバンドなんだという重要なメッセージを持つこととなったのです。

彼らの後、Led Zeppelin、Aerosmith、ABBA、TOTO、U2、Guns N’ Rosesなどさまざまな造語を使ったバンド名が生まれました。

ハンブルクで恋に落ちる

そして、彼もドイツのハンブルク巡業へ参加したのです。

そして、現地でアストリッド・キルヒャーという女性と出会い、たちまち恋に落ちました。

彼女は、美人なうえにプロカメラマンとして、抜群のセンスを持っていました。

彼女が撮影した初期のビートルズの写真は、今では貴重な財産になっています。

そして、二人は結婚の約束を交わし、他のメンバーがイギリスへ帰る時も彼はドイツに残り、画家を目指すということで脱退したのです。

ビートルズで最初にモップトップにした

もう一つ特筆すべきことは、ビートルズでヘアスタイルをモップトップに変えたのは、スチュアートが最初だったということです。

彼はリーゼントが大嫌いで、アストリッドの仕事仲間が既にやっていたヘアスタイル、つまり、モップトップを気に入り、彼女に髪を切ってくれと頼んだのです。

そう、あの独特のヘアスタイルをビートルズに最初に持ち込んだのは彼なんです。

やがて、ピートを除くメンバー全員がこのヘアスタイルに変えました。

突然、病魔に襲われる

彼は、将来大物の画家になるだろうと誰もが思っていました。

しかし、そんな彼を突然の不幸が襲います。

いつの頃からか、彼は、原因不明の頭痛に悩まされるようになりました。

頭痛は次第にひどくなり、意識を失って倒れたこともありました。

アストリッドはとても心配して彼を病院に連れて行ったのですが、なぜかレントゲン撮影を頑なに(かたくなに)拒否しました。

あちらこちらの病院で診察しても原因が分からず、そうしているうちにまた発作を起こし、救急車で病院に運ばれる途中、アストリッドの膝の上で息を引き取りました。

遺体を調べると、何と頭蓋骨を骨折していたことが分かりました。

路上でケンカに巻き込まれたときに受けた傷が原因ではないかと言われていますが、はっきりとは分かりません。

アストリッドは嘆き悲しみ、自殺するのではないかと周囲を心配させました。

そして、その事実を知らずにハンブルクに再び訪れたビートルズに事実を告げました。

ジョンは、ショックを受けたものの「オレたちが泣いたってスチュ(スチュアートの愛称)は帰ってこない。それなら笑ってやろう。」と大声で笑ったのです。

でも、本当は彼が一番ショックを受けていて、泣き叫びたかったのです。

リーダーだという自覚がそれを思い留まらせたのかもしれません。

ずっと後にジョンは、オノ・ヨーコと結婚しますが、彼女には「あいつはもう一人のオレだった。あいつの精神世界、指導力…」と良く語ったそうです。

後年、スチュアートを主人公にして彼の生涯を描いた映画が制作されました。

その映画を観たアストリッドは、主人公の俳優が、外見だけでなく立ち居振る舞いや話し方まで本人にそっくりだったのに驚いたのです。

これがその映画の予告編です。

彼の写真は、あの傑作アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のジャケット写真にコラージュとして採用されています。

このジャケット写真にはビートルズに所縁のある人たちが登場しています。

写真の左端、上から3番目がスチュアートです。

ライタープロフィール

和田晋司

ビートルズの熱狂的ファン

和田晋司

大阪府出身 ビートルズのファン歴ウン十年。

色んなものに手を出しましたが、唯一続いている趣味がこれです。

ビートルズの語り部として彼らの偉大さを後世に伝えていきたいと思っています。

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ

ウェブサイト:http://abbeyroad0310.hatenadiary.jp

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