ビートルズになれなかった男たち。元ドラマー、ピート・ベスト
ビートルズのメンバーといえば、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4人と決まっています。
しかし、実は、ビートルズのメジャーデビュー以前には、彼ら以外にもメンバーがいたんです!
そこで、今回は元ドラマーのピート・ベストについてお話します。
もくじ
メンバーで一番の人気者だった
「ビートルズになれなかった男」として最も有名な人です。
ビートルズのドラマーといえばリンゴ・スターでしたが、彼が加入する前のドラマーがこのピートでした。
ジョンは、アマチュア・バンドからプロに転向したのですが、ポール・ジョージは彼に付いていったものの、ドラマーが不在だったのです。
そこで、彼らがアマチュア時代に良く出入りして演奏していたカスバ・コーヒー・クラブの経営者の息子のピートを誘ってドラマーにしたのです。
そして、キャバーン・クラブのレギュラーバンドとして活動を開始しました。
ピートは、写真で見たとおりのイケメンでメンバーの中でもトップの人気を誇っていました。
そして、下積み時代でお話ししたハンブルク巡業にも同行しました。つまり、プロとして一番苦しい時期をともにしたのです。
その間、マネージャーのブライアン・エプスタインの活躍により、ようやくパーロフォンレコードのオーディションに合格し、契約を結んでメジャー・デビューするところまでこぎつけました。
突然の解雇!
ところが、その直前になってビートルズはピートを解雇してしまったのです!「そんなバカな!」って思うでしょ?
だって、一番苦しい下積み時代を一緒に乗り越え、やっとメジャー・デビューできるという寸前でクビになるなんてありえませんよね?
これがその事実を伝える地元の音楽紙「マージー・ビート」の記事です。特集として「ビートルズがドラマーを変える」とタイトルが付けられています。
それもはっきりした理由が分からないんです。
演奏が下手だったとか、他のメンバーと仲が悪かったとか、そういった理由があれば納得するんですが、これといった理由が見当たらないんです。
ビートルズって謎の多いグループなんですが、その謎の中でも特筆に値するものといえます。
はっきりしているのは、彼に解雇を通知したのがブライアンだったということです。
それも「他の3人が君とはやれないと言っている」と言っただけで、具体的な理由は何も示しませんでした。
ですからいまだに彼がなぜ解雇されたのか、さまざまな議論を呼んでいます。
解雇の理由は?
あくまでこれが理由ではないかといろんな推測がされているだけで、決め手となるような確証はありません。
1. ドラマーとしてのスキル不足
考えられるとしたらまずこれでしょうし、そうでなければ理由になりませんよね。
ところが、良く議論になるのは正にここなんですよ。何しろ彼が演奏していたのはデビュー前でしたから、確かめようにも音源があまり残っていないんです。
それさえあれば音楽の素養のある人なら判断できるんですが、限られたものしかありません。
しかも、数少ない音源を聴いたとしても、ドラムなのでボーカルやギター程目立ちませんから、判断するのが難しいんです。
ただ、その中で手掛かりとなりうる貴重な音源が一つ残されています。
それが他ならぬデビュー曲の「ラブ・ミー・ドゥ」です。
実は、この曲には3人のドラマーのバージョンがあるんです。
ピート、リンゴ、そしてアンディ・ホワイトです。
ホワイトは、セッション・ドラマーでプロデューサーのジョージ・マーティンがレコーディングの際に招集したんです。
これがその音源です。
https://www.youtube.com/watch?v=eWnklhOCVmc
聴き比べていかがですか?個人的な感想ですが、まず消去法でピートはないなと思います。
この点について、ビートルズ研究の第一人者マーク・ルイソンも著書「ザ・ビートルズ史 下巻」のp474で
何よりピートのスキップビートは悲惨だった。
普通では考えられないテンポの乱れを引き起こし、それによってビートルズの演奏は不安定に、素人っぽく聴こえてしまった。
タイミングを合わせられないピートのドラミングは三人を走らせ、さらにピートは間奏の入口で躊躇してしまい、ストレートに走りながら突然スキップビートに転じる、という失態を演じたのだ。
そして、マーティンがレコーディングの際にホワイトを招集したのは、ピートのスキルに満足がいかなかった何よりの証拠です。
しかし、マーティン自身はピートを解雇しろとまでは言っておらず、単にセッション・ドラマーを用意すると告げただけでした。
2. 他のメンバーとしっくりいかなかった
決して仲が悪かったわけではありません。
特に、ジョージとはとても仲が良かったのです。
ただ、メンバーの中では少し浮いていた感じもありました。
デビュー前の仕事でも時々すっぽかしたりしていましたし。
メンバーに溶け込んでいたという感じはありませんね。
3. ハングリー精神に欠けていた
ちょくちょく仕事をさぼったことからも分かる通り、他の3人が絶対にスターになるんだというハングリー精神があったのに、彼にはそれが欠けていました。
他の3人は、暇されあればギターやベースの練習をし、どんなサウンドが良いか必死に研究していたのですが、彼にはそんな姿勢はありませんでした。
4. リンゴが抜群のスキルを持っていた
良く誤解されるのですがリンゴは超一流のドラマーであり、スキルに関していえばすでにデビュー時点で他の3人を上回っていたのです。
そのことはポールがハンブルクで初めて一緒にセッションした時の印象を語っていることでも明らかです。
自分たちの背後から刻まれる完璧なリズムを初めて聴いた3人は驚愕(きょうがく)し、思わずお互いの顔を見合わせたぐらいですから。
その時のことを語るポールです。
開始から1分位のところ以降でその時のエピソードを語っています。
5. リーゼントを止めなかった
これが理由になるのかどうか分かりませんが、他の3人が早くからリーゼントを止めていたのに、彼だけはかたくなに止めませんでした。
ただ、これがブライアンの採用した「アイドルとして売り出す」という戦略にはそぐわないものであったことは明らかです。
その後のピート
彼は、いくつかのバンドに所属しましたが鳴かず飛ばずで、ミュージシャンの道を諦め就職しました。
そして、「ビートルズになれなかった男」というレッテルを貼られ、彼は生涯苦しむことになりました。
ただ、歴史に「たられば」はありませんが、運よくデビューできたとしても、他の3人の進歩にはとても付いていけず、遅かれ早かれ脱退を余儀なくされたのではないかと思います。
ピートを解雇したことは、他の3人にとってもつらい思い出として重くのしかかり、互いの連絡もたってしまいました。
しかし、ビートルズの解散後、ジョージは、ピートと直接会うことになり、ジョージは謝罪したのです。
ピートもそれを受け入れて彼らは和解し、その後とても仲良くなりました。
しかし、その後、ジョージはがんのために他界してしまいます。
訃報に接したピートは「最も大切な友人を亡くした」と嘆き悲しんだのです。
結論
解雇の際に明確な理由をピートに告げず、きちんと公表しなかったことがその後大きな混乱を招いてしまいました。
しかし、結局は、ピートのスキル不足であったというのが真相でしょう。
バンドとしてライブも行うビートルズとして、メンバーの1人でもレコーディングの際にスキル不足で差し替えられるということは、致命的な欠陥というよりほかありません。
結局は、3人のビートルおよびブライアンの総意として解雇すると決断したのでしょう。
ライタープロフィール
ビートルズの熱狂的ファン
和田晋司
大阪府出身 ビートルズのファン歴ウン十年。
色んなものに手を出しましたが、唯一続いている趣味がこれです。
ビートルズの語り部として彼らの偉大さを後世に伝えていきたいと思っています。
ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ