本物のポール・マッカートニーは死亡し、替え玉と交代した?ビートルズを巡る都市伝説
「本物のポール・マッカートニーは死亡し、替え玉と交代した?」
これは、ビートルズファンの間では知らない人がいない位、有名な噂(うわさ)です。
でも、ファンになって日が浅い人は知らないかもしれませんね。
今回はそんな都市伝説を紹介したいと思います。
今なお語り継がれる都市伝説
1969年に世界中を駆け巡った噂で、当時は大騒ぎになりました。
もちろん、噂は否定されたのですが、何と今なお水面下で脈々と語り継がれているのです。
どんな噂なのか?
噂は大体こんな内容です。
1966年11月9日水曜日、午前5時にポール・マッカートニーが交通事故で死亡しました。
ポールは、友人を訪ねる途中で女性のヒッチハイカーを車に同乗させました。
彼女は、まさか彼に会えるとは思わず、興奮のあまりこともあろうに運転中のポールに抱き着いてしまい、彼は、車をコントロールできなくなってしまったのです。
ポールと彼女を乗せた車は、道路を飛び出して石垣に衝突し、2人とも死亡しました。
ポールは、頭部を激しく損傷したため、彼の歯科のカルテと照合しても被害者が彼であると特定できなかったのです。
レコード会社の経営幹部は、記録的な売り上げを失うことを恐れ、ポールが死亡したことを隠し、彼の替え玉を用意することにしました。
他の3人もこの措置に同意したのですが、その代わり、ポールが死亡したことと彼が替え玉と交代したことをアルバムに手がかりとして残すことにしました。
彼らは、ひそかにコンテストを実施し、そこで優勝したウィリアム・キャンベルという男を替え玉に仕立てることにしました。
キャンベルは、少し整形手術を受け、グループで撮影する写真ではポールの位置に収まりました。
手術で彼の唇の上に小さな傷跡が残りましたが、それを除けば成功でした。
そして、幸運なことにキャンベルはボーカルができ、ポップなメロディーを作成できる卓越した耳を持つソングライターでした。
おかげで「替え玉作戦」は見事に成功し、その後も解散するまでビートルズは活動を続けることができたのです。
噂の拡散
ポールが死亡したという噂は、ビートルズのメンバー間の不和が一般にも知られるようになった1969年に広まり始めました。
噂の出どころは、1969年秋にある大学の学生が新聞に書いた記事だとされています。
そして、この噂がデトロイトのラジオ局で放送されると、一般の人々の間にたちまち駆け巡ったのです。
WKNR-FMのディスクジョッキーだったラッセル・ ギブは、トムと名乗る男から奇妙な電話を受けました。
彼はギブに、ポール・マッカートニーは1966年に死亡し、その後彼の顔が変わったと語ったのです。
彼は、ポールが替え玉であることを示す手がかりをビートルズがアルバムに残したと主張しました。
この男は、当時ビートルズの最新アルバムあったアビイ・ロードのジャケット写真にそれが表されていると語りました。
ジョン・レノンは牧師、リンゴ・スターは喪服、ポールは裸足(つまり死んでいるということ)、そしてジョージ・ハリスンは墓堀人として、葬式に参列し歩いているのだと主張しました。
他のアルバムのジャケットやいくつかの曲には、ポールの死についての手掛かりが含まれていましたが、レコードが逆再生されたときにしか解読できないものもありました。
ギブはポールが死亡したという噂は聞いていましたが、ラジオで放送されたことによりリスナーに大きな衝撃をもたらし、その後噂が急速に広がったのです。
さらに雑誌ライフが噂の真相を探るため、スコットランドへ記者を派遣してポールの写真を撮影させようとするほどまで広がりました。
当時、ポールは、ビートルズを巡る法的紛争の最中で、スコットランドにある彼の農場に身を隠しており、記者たちの取材を受けることを嫌っていました。
ライフの記者が彼の農場に現れ、ポールの写真を撮影すると彼は怒り、バケツにくんだ水を写真家にぶちまけたのです。
記者たちは、すぐにその場を去りましたが、写真は照明が暗かったためにネガティブなイメージを受け、かえって噂が真実であるかのような印象を与えてしまったのです。
ポールによる否定会見
ポールは、その写真の掲載を拒否する代わりにライフのインタビューを受けることにしました。
彼は、1969年11月7日号の表紙を飾った記事で、噂を全面的に否定したのです。
死亡説が挙げる根拠
1. ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァーという曲のエンディングで、ジョンが「私は、ポールを埋葬した」と語っている。
2. アイム・ソー・タイアドという曲のバックで、ジョンが「ポールは死んだ男だ、彼がいなくて寂しい、彼がいなくて寂しい」と語っている。
3. アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のジャケット写真に写っている黄色の花輪がポールのベースの形に飾られている。
4. ア・デイ・イン・ザ・ライフという曲の歌詞に「he blew his mind out in the car」とあるが、これは彼が車の事故で死亡したことを暗示している。
5. アルバム「アビイ・ロード」のジャケット写真にも証拠が残されている。
- 4人が並んで歩いている姿は衣装からして葬列である。
- ポールは裸足だが、死者を埋葬する際裸足にする地域がある。
- ポールはたばこを持っているが、左利きなのに右手に持っている。
- フォルクスワーゲンのビートルのナンバープレートは、「LMW 28IF」と表記してあるが、これはこのアルバムがリリースされたときに生きていたら28歳であることを示す。
- ジャケット写真の裏面に青いドレスを着た女性が通り過ぎているが、彼女はリタで、ポールが運転していたアストンマーティンに同乗し、不幸な事故に巻き込まれ、逃走したことを示す。
6. ポールの生前はジョンと同じ身長だったのに、アルバム「サージェント・ペパー」のジャケット写真では、ポールの方が背が高くなっている。
7. イタリアの犯罪科学の研究チームは、1966年以前とその後のポールの顔写真を比較すると同一人物ではないと分析した。
8. 1969年にマイアミ大学のヘンリー・トラビー博士が、ポールのボーカルであるイエスタデイ、ペニー・レイン、ヘイ・ジュードの声紋鑑定を実施したら全く異なる結果が出た。
これはデマです!
もちろん、これはデマです!
ポールはアビイ・ロードで裸足になったことについて、「その日はサンダルを履いていたんだけど、暑かったから裸足になったんだ。でも、そのことと僕が死んだこととどういう関係があるんだかさっぱり分からなかった」「その噂が広まってから、街を歩いていると通行人が立ち止まってじっと僕の顔を見るようになったんだ。これは本物か、替え玉かってね」とテレビ番組のインタビューに答えています。
「あなたは替え玉だという噂です」
「私は彼だよ(笑)」
この噂は、1969年に広まったものの、ポール自身が否定したことにより収まったかにみえました。
しかし、驚くべきことにいまだに根強く世界中のSNSでささやかれ続けているのです。
今はやりのフェイクニュース(嘘のニュース)ですね。
もし、本当に1967年以降のポールが替え玉だとしたら、アルバム「サージェント・ペパー~」や「アビイ・ロード」を完成させ、ヘイ・ジュード、ゲット・バック、レット・イット・ビーなど歴史に残る数々の名曲を制作したことになります。
そして、50年以上も第一線で活躍を続け、今なお世界中でツアーを続けていることになりますが、これでは替え玉の方が本物よりすごすぎますね(笑)。
ライタープロフィール
ビートルズの熱狂的ファン
和田晋司
大阪府出身 ビートルズのファン歴ウン十年。
色んなものに手を出しましたが、唯一続いている趣味がこれです。
ビートルズの語り部として彼らの偉大さを後世に伝えていきたいと思っています。
ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ