スペシャルインタビュー
スペシャルインタビュー|ライブスポットラグ 秋葉 隆
時に店長として、時に特攻隊長として、そして無類の酒呑みおやじとして・・・ラグ32年の歴史の中でもひときわ異彩を放つこの男は、今何を考えどこへ向かおうとしているのか。ライブスポットラグ・ブッキングマネージャー、秋葉 隆の素顔に迫る。
インタビュー
- 秋葉さんはラグに入社して何年ですか?
- 1988年の10月1日から、北山から今の木屋町三条に移ってオープンして、それから年が明けた89年の2月か3月くらいから、アルバイターとして入りましたね。大学の最後の年ですね。大きな声では言えないが小さな声では聞こえない、5回生でございました。
- 笑
- 4回生の終わりで、5回生が確定してた時、あと1年間どないしようかなと思ってた時に、その当時の店長だった山崎さん、大学の先輩だった訳ですが、「おい、お前ちょっとバイトしに来いよ」って引きずり込まれた訳ですね。最初1年間はアルバイトで、卒業がやってきますわな。さあ、どうしますか、そん時はバブルのちょっと前くらいで学生売り手市場と言われてて、内定10社当たり前、20社から取ってきて、「学生様々うちの企業来てください」そういう時代で、「フリーター」という言葉も出来た年、かな?そういう意味では浮かれてたんでしょうね。そういう時に、自分はバンドやってまして、バンドや音楽でそんな簡単に食っていける訳ないよな、どうしようかなと、悩むことなく考えていたところ。
- 悩むことなく(笑)
- 「ラグに就職しないか?」とお話しをいただきまして。「あなたはドラフト1位指名です。即戦力じゃないですか」と。アルバイト1年してたから、打って投げられる即戦力でどうかと。「では、お世話になります!」ということで、だから1990年4月1日が一応入社した年・日になるのかな?非常に分りやすく、平成元年からアルバイトとして働いてるから、平成とともにもう25年になります。
- 現在店長兼ブッキングマネージャという肩書きの秋葉さんですが、具体的にどんなお仕事をされているのでしょうか?
- どんなお店でも店長と言われる人がいて、ライブハウスは飲食店というとこでもあり、店長さんはお店をきりもりする長でございますね。どういうメニューを出すだとか、どういうスタイルで営業するとか、アルバイトスタッフの手配とかね。そういうのが店長業務でございまして、いわゆるレストランとか居酒屋さんとかと大きく異なるのは、やっぱりライブハウスでその日その日にライブがあるってことですね。ライブを決めていく、それをブッキングと言うのですが、その担当・係としているのが、ブッキングマネージャでございます。ひと月30日・31日、何月何日はこのライブをしようとか、そのライブを決めていく。例えばこのライブはチケット代3,000円くらいかな?このバンドとこのバンド対バンさせたら面白いんちゃうやろか?とか、そういうのをあの手この手でやっていくというのが、ブッキングマネージャという仕事でございますね。
- 入社した当初から、現在のお立場だった訳ではないですよね?
- 先ほども申しましたが、店長がいて、1階層下の補佐と言うか、お店を回すバイトをまとめる主任、「特攻隊長」という感じの。
- 「特攻隊長」ですか?分るような分らないような。
- 「秋葉1兵卒、行って参ります!」「はい、ビール1丁!はい、豚キムチ丼3丁!」、アルバイト諸君に「はい、あっちでオーダー取って来い!おーっしこっちは俺が行って来らぁ」って、ホンマに店内特攻隊長ですか。
- いわゆる「ホール」というやつですね。
- そうでございますな。
- 色々アルバイトスタッフがいる中でのトップということですね。
- 社員でトップとしていてるという感じですね。というお店の中での立場がほぼメインで、ラグという会社はライブハウスだけじゃなくて、その頃はまだスタジオはなかったんですが、音楽制作業務、ジャズフェスにバンドをブッキングしたりだとか。そういうこともあって、その時にも制作の方でお手伝い、どこどこの現場に行ってましたね。
- 佐世保ジャズフェスとかですか?
- そうです、行ってましたよ。
- 最初の頃はご苦労や失敗も多々あったかとは思いますが。
- 山ほどございましたよ!
- 例えば?
- でっかいジャズフェスじゃないんですが、ジャズコンボ、バンドを何カ所か中国地方に、鳥取とか島根だったかな?ツアーに同行するという時がございまして。ラグの須田社長がメンバーを乗せての車移動、僕は1人でドラムセットとか機材を積んで京都から鳥取に向かって、機材組は先に出発しますわな。その当時は、高速道路を京都南インターから乗って中国道、山陽道、途中岡山県と鳥取県の県境で1回高速降りて、鳥取市まで北上していく下道を行くのですが。それが昼下がり、13時か14時くらい、ものすごいええ天気で、すごいなだらかなスロープで車も全然通ってなくて、「うわ、こら気持ちええわー」ってすーっと飛ばしてたら、「はい、いらっしゃーい」ってネズミ取りに(笑)「はい、何キロオーバー」って切符切られて、しょぼーんとして現地に着いた訳ですよ。1時間くらい後に、社長がメンバー連れて来ますわな。「秋葉、捕まったやろ?」「なんで知ってるんですか?」って聞いたら、「俺も捕まった(笑)」って。捕まった時に、職業とか会社名とか書くじゃないですか。社長もどうやら同じとこらへんで、スピード出し過ぎで捕まって、同じように書いている時、「あんたとこの同じ会社の人、さっき。。」苦労話なんか笑い話なんかあったりしましたね。
- そんなことがあったんですね。
- あとは、お店的で言うと、入って2年目か3年目くらいに、山崎さんと言う人が店長とブッキングと両方やってたんですけど、それを店長業務とブッキング業務に分けようということで、山崎さんはブッキングに専念する、秋葉はお店を回す店長業務でって。そこで初めて店長になったんですけど、1年目はなかなか、バイトも言うこと聞いてくれへんというか。血気盛んなやつらやし、なかなか数字が上がらなかったですね。1年目割とぼろんちょでございました。その経験を経てか、2年目の時には、時代とかブッキングの内容にもよるんだけど、数字をぐっと上げれたときがあったんですよ。あれはすごいいい経験でしたね。1年目にすごい辛い思いして、「くそったれ!」と思いましたから。
- 店長になられて、その後ブッキングもするようになったのはどういう経緯で?
- 1年ほぼ毎日ライブをやっている訳じゃないですか。その当時は山崎さんがブッキングしてて、僕も店長なる前とかなった後も、いわゆるブッキングはやってた訳ですよ。対バン制が結構メインだったんだけども。徐々に色んなバンド連れて来てやったりしてた。そうこうしている間に、山崎さんが自分の店を持ちたいということでラグを退社するってなって、それならメインでブッキングをやろうかと。実は山崎さんが辞めるということで、一人別の店長的な人員を入れたんだけれども、その人ももうやめちゃって。その前に2年弱程東原力哉さんのマネージャも、やってたことがありますね。力哉さんのマネージャをしてた頃は、山崎ブッキングマネージャと、もう一人の店長でお店は回してて。マネージメントをラグではやめようかという時と、山崎さんが抜けることが重なったのかな。それが1996年だったかなと思うけど。一時期は店長と、ブッキングマネージャと、力哉さんのマネージャと三冠王でしたね。
- 三冠王!三足のわらじですね。
- 力哉さんのマネージメントが終わって、店長と言う肩書きのもと、お店のブッキングもやっていく。「この日から、はい、ぽーん」って感じじゃなく、徐々にそうなっていったって言うのかな。
- 色んなことがありながら、今の秋葉さんがあるという感じですね。プロのミュージシャンはもちろん、地元のアマチュアバンドマンにも慕われ。
- 慕われてるんでしょうかね?単なる酒呑みおやじ、うっとうしいなと思われてるかも知れんけど(笑)
- そんな秋葉さんの腕の見せ所、ラグ名物創業祭が始まる訳ですが、あらためて創業祭とはどのようなお祭りでしょうか?
- ラグが出来た時というのが北山の時、須田社長が「JAZZ SPOT RAG」としてお店を興して、それが四月なんですね。ラグが出来た日と言うか、ラグが出来た月で、1周年記念、2周年記念ってやってた、それの32周年目。皆にお祝いしてもらうと言うか、とりあえずお祭り騒ぎにして皆で騒ごうやと、いう感じでございますね。
- この創業祭という期間に、いつもももちろんなんですけど、素晴らしいミュージシャンの方にたくさん来ていただいて、お祝いしてもらう、盛り上がろうぜ、お客様にも喜んでもらおう、ということですね。ずばり、今年の創業祭の見どころは?
- ライブというのは、ブッキングをしてて、バンド・ミュージシャンがツアーで回ってくるのでこの頃ライブさせてもらえないかとオファーをいただいたり、逆にこっちからこういうセッションしませんか?と声をかけて、ラグならではのライブをやっていただく、大きく分けて2パターンあると思うんです。今回の創業祭ではベースの須藤満さんに2日間、ピアニストの榊原大さんに2日間、こちらからラグならではの面白い企画・セッションライブやりませんか?と声かけさせていただいて、「こんなんやりたい!」と持って来ていただいた2DAYS×2があって。で、安達久美ちゃんもね、ラグアーティストということで面白いセッションやらないかと、あの日が決まった、というのもあり。
- 「J&K」+DEPAPEPEの三浦拓也さんですね。
- そういうのもあれば、「シェケナベイベー」ね、スタジオラグのイベントもこの創業祭の中に組み込んで、より若い衆、今度は大阪の「ガクセイウンドウ」とコラボしたイベントも入れつつ。
- なるほど、毎日が楽しみですね!過去の創業祭において、こんなエピソードあったよ、みたいなお話はありますか?
- 結構初期段階の頃、10周年かな?「マラソンライブ」と題してやったことがあったんですよ。というのも、普通10周年とか15周年とか言う時はですよ、例えばコンサートホールを借りて2日間でイベント的にどーんとやるというのが、大概は多いのかな。でも10周年の頃色んなミュージシャンとお付き合いがあったんで、1日2日に絞り込むことなんか出来ひんとちゃうかと。それならライブハウスを使って、色んな人に来てもらおうやと、1ヶ月近くなったんですよ。こらもう、フルマラソン走るみたいで。
- 相当な体力が必要そうですね。
- 「マラソン」というのがキーワードにあって、その4,5年後かに、「駅伝ライブ」というのがあったんです。それは15日間くらいなんだけども、例えば初日に、鈴木さんと山田さんと加藤さんというメンバーのバンドが出ました。山田さんには次の日も残ってもらって、山田さんを加えて高橋さんと福本さんとでセッションライブをやりました。その次高橋さんに残ってもらって、といういわゆる駅伝ですね。一人ずつメンバーが残っていって、15,6日か、全部続いた訳ではなかったけど、ちょうど真ん中にアラン・ホールズワースというプログレギタリストの来日ライブが決まってた訳ですね。さすがにその人と一緒にセッションするのは非常に難しいと(笑)。それがちょうど真ん中の日、折り返し地点でございます。前半戦ずっと7日間、8日間通りました。1日アラン・ホールズワースさんがおりました。その後またずっと続いたっていう、そういう「駅伝ライブ」。その時はたすき作って、初日に出た山田さんにサインもらった、次の日行きました。連続で出る人のサインずっともらって、そういうのをやりましたね。
- まさにたすきを渡していったのですね。
- ラグならではの面白い企画だったと思います。
- 今後、ライブスポットラグをどのようにしたいとお考えですか?
- 私自身ラグで働き始めて25年、ラグが北山から合わせて32周年ということで、振り返ればこの数字だというのがある。日々毎日毎日色んなライブがあって、全然振り返ってないというか。ひたすらやり続けているという感はいまでも変わらずあるけど、それと同時に年齢もね、32周年、年を追う毎にやってる人間年齢を重ねていくっていう。それを年老いていくと言わずに、経験を積んでいくと考えたいんだけども。自分自身も20代のラグで働き出した頃の感覚とは違う感じも出て来てるのかなとは思うんだけども、その分自分に取っての息子・娘の世代がお客さんとして来てくれて嬉しかったりするんで、今までとは違う年齢層がより幅広がるライブハウスになっていけるんじゃないかな。今出演者の最高齢は、ナベサダさんがこないだ80歳にならはったのかな?も出ていただいてたり、小学生のジャズドラマーが出てたりで年齢層幅広いというか。スタジオのイベントもやってもらってて、そこで学生をメインにしたバンドも出てもらってたり。まさに老若男女と申しますか、色んな世代の人が楽しめる、ライブハウスにしていきたいですね。
- ありがとうございました!
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創業32周年を記念して、4月19日〜5月11日の期間、『Music Museum』をお題に豪華ラインナップでお届け!ラグが自信を持ってお勧めするこの23日間を、ライブスポットラグ店長 …あらため、『Music Museum』館長 秋葉が独自の視点でご紹介します!
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