スペシャルインタビュー Live House nano もぐら店長 4/6|スタジオラグ

スペシャルインタビュー
Live House nano もぐら | スタジオラグ
nanoの店長としてもっともだと思います。
nanoはどうしても僕がブッキングを進めるからnanoで出来る、このキャパですし機材も揃いきってないですしnanoで出来る音楽ってどうしても多少幅が限られるんですよね。でも飯田仁一郎がアイデアとしてぽろっと出したんが「今年のnano BOROFESTAはめちゃくちゃパンクに寄せへんか?」。ボロフェスタってめちゃくちゃオルタナのイベントでパンクス感があるかというか、みたいなところがあるんですよ。ただ、アゲアゲじゃない。何かに抗ってる感じというか。ハードコアなバンドも出るし、いわゆるパンクなバンドも出るブッキングを組んでいて、そういうボロフェスタのパンク色みたいな感じを、今年のnano BOROFESTAでも凝縮させて見せたらオモロいんちゃうの?というアイデアが出たんです。でも僕はさっき言ったような、いやいやでもそれをすると普段nanoに来てくれている人に遊びに来て欲しい、そういう俺の中での一つのnano BOROFESTAの位置づけというのが一切なくなってしまう。そういうイベントがどっかでやってたら遊びに行きたいと思うしパンクもハードコアもめっちゃ好きやし、そのアイデアはありやと思うけど、nanoでやるのはどうなん?それ?っていう話になった時に、その場にいたMETROでブッキングをしてるJACKが、「そんなもんMETROでやったらええやないか!」つって。「じゃ、やろう!」つって(笑)で、「いつやる?」って話になって、METROのスケジュール的にここが空いてる、でもnano BOROFESTAと期間が3週間くらいしか空いてへんけどそれでも大丈夫かな?つってたけど、「大丈夫、3週間も空けずにプレイベントやるとかも、畳み掛ける感じがかっこよくない?」って(笑)
その精神もパンクですね(笑)
そういう、位置づけが。nanoでできないプレイベントをMETROでバーンとやる。nanoでできないボロフェスタっぽいプレイベントってなんや?めっちゃパンクに寄せたやつやろう!だからMETROの「ボロフェスタ vol.うるさい友達」はいわゆるざくっとカテゴライズされる中でのパンクに寄せたブッキングで。それも多分昼間から10以上2桁数のバンドに出てもらって、目白押しで。
濃い日になりそうですね!
METROとnanoでブッキングを棲み分けた形で完成しつつありますね。
nano BOROFESTAの出演者発表は?
7/11ですね。METROのうるさい友達と同時発表で。
これまでも、そして今年もこれだけのメンツにオファーできるというのは本当にすごい事ですよね。
もちろん「初めまして京都のボロフェスタと言います」からのオファーもありますけど、これまで続けて来た中での繋がりがすごく増えて来てますからね。バっと声を掛けて、サクっと決まるという感じもあります。
やはりこういうフェスに出たいという人はたくさんいると思うのですが、どうやったら出れるのでしょう?
というより、この規模だったら自分でやった方が早いですよ。
(笑)この規模でもですか?
そう、自分達でやりたい事をやった方が良いと思います。そんな軽々しいものではないけれど…。多分、何年かは寿命削りますよね。90まで生きられるのがもう60くらいまでしか生きられないかもしれない(笑)
かなり削ってますね(笑)様々な苦労があったと思いますが、その上でボロフェスタのようなフェスを自分達でやった方が良いと言えるのは、やはり、やってきたモグラさんだからこそ言える事なんでしょうね。
まあ、大変ですよね(笑)でも、“こういうイベントに出るには”という話になったら、「ミュージシャンとして知名度を上げて、話題になるような工作をして」という話になるんでしょうけど、例えば「ボロフェスタ」にどうやったら出れるかという話になったら、それはもう僕らが好きかどうかっていう話になって来るんです。だから、人の好みに左右されるくらいなら自分で好きな事をやった方が良いと思う。「僕ら『くるり』が好きなんですけど、どうやったら一緒にできますか」って聞かれたら、「そうだなぁ…お金貯めて呼んだらいいじゃないかな。条件合ったら出てくれるよ、きっと」って答えてしまいますね(笑)
確かに、その通りですね(笑)
そうやって、“自分が一緒にやりたいバンドは何か”というもの選んで来たところもあるし、もともと主催のメンバーが“自分をどうプレゼンできるか”、“最高のプレゼン場所を自分達でどう作るか”という事をコンセプトの一つとして置いてきたんですね。そういう意味を踏まえると、やっぱり自分でやった方が良いと思いますよ。
これは若いバンドマンの方々にぜひ聞いてもらいたい話ですね。
そうは言うけどやっぱり「でも、そんな…」ってみんな言うんでしょうね…なんだろう、多分僕ら、おかしかったんだと思います(笑)2002年が初めての年でちょうど10年前、僕は24歳で世間一般的に言っても大学卒業して社会人2年目の年だなって頃だけど、ゆーきゃんや飯田君は22歳でしたからね…。ちょっとそれを思い出して、「お前らのその若さ、ちょっと引くわー!」って思っちゃいました(笑)
ええ、ええ、若いです、若過ぎます(笑)
それで、今ライブハウスに出てる22~24歳の子達を見てると「ああ、この子ら、すごい若いなぁ」とか思うんですけど、その頃には僕、西部講堂で埃まみれになってたんだなって思うと、「ああ、やってきたなぁ」「お前らとは違うでー」みたいな(笑)
ええ、ええ(笑)でも、何も無い所からシステムを作りあげて継続させてきたということは、本当にすごい事だと思います。それはもう「お金貯めてやったら良いんちゃう」って言えちゃいますよね(笑)
まぁ、お金も貯めずにやりましたからねぇ…赤字出てたらどうするつもりだったんだろうと思いますよ(笑)