スペシャルインタビュー ゆーきゃん 4/5|スタジオラグ

スペシャルインタビュー
ゆーきゃん | スタジオラグ

ここでぼくの声を聴いてくれているっていう事の方が、余程すごいことだなって思えて。

なるほど、様々な変遷を経ての今なんですね。では、アーティスト・ゆーきゃんとしての創作意欲をかき立てるものはどんなものなんでしょう?先程のポップスのお話にあった「乗っけて運ぶ」という所なんでしょうか?
う~ん、イベントの“オーガナイザー”としての自分と、“演奏者”としての自分と、“作詞作曲家”としての自分は重なっているようでちょっとずつズレていて、例えば人をハッピーにさせる空間が好きでそういうのをやりたいからといって自分がハッピーなバブルガムソングをかけるかっていうと、そうではなくて、結局、自分の中から出て来るものしか音楽にならないんですね。だから今でもすごく静かな曲とか、もしかしたらこれは悲惨な歌なんじゃないかというようなアシッド・フォークとか書いたりするんだけど。それは、なんというか、子供が習字をして良いのが書けたらみんなに見せたくなる。大事にたたんで家に持って帰って、その途中でおばあちゃんの家に寄って見せるみたいな。あの感覚ですよね、作る者としては。
イベントとはまた全然違ってますね。
そうですね。表現者としては、自分の中から出て来たものを突き詰めて、研ぎすまして、膨らませて、磨き上げて、人に見せるしかないと思うんですよ。だから、リスナーを別の所に運んで行ってあげるというのとは、迎合しないというか、こういう事やったらみんな喜ぶんやろうというのとは全然違うと。いつも音楽的にちょっと冒険をするというか、自分達のやりたいことを出来るだけ高度に且つ、みんなに伝わるように作品に仕上げるということをやる。これは、僕が『くるり』から教わった一番大きなことやと思います。まず自分の表現を ― 自分の中から出て来るものしか信用しなきゃダメで、借りものでは説得力が無いというか。だから絶対に自分の中から最初の1ページを始めて、それをどう伝える価値のあるものに仕上げるかということを考えます。明るくて楽しいだけがポップミュージックではないし、分かり易ければポップミュージックというわけでも無いと思う。多分、自分にとって納得がいって、“あの人に聴いて欲しい”と思えるものを作ることが大事かなと。それは本当に2007年以降、やっと分かったっていうか…
それまではどういった事を思ってらっしゃったんですか?
自分が納得いくものを作ると。そうしてたらみんな分かるやろうという感じでしたね。
内から外にといった感じですね。
そうですね。実は僕、2年間東京に行ってたんですよ。2008年・2009年と行っててその時、東京のバンドマンと付き合う事が多くて、彼らはみんな目的意識がすごく高かったんですね。たくさんのバンドが何らかの形で世に出たいと思っていて、それがメジャーなのか何なのかは分からないですけど、たくさんの人の支持を獲得するっていうことが、特にポップスの世界ではすごく大事で…ちっちゃいコミニュティでカッコイイことやってたら良いっていいう刺激的なアンダーグラウンドシーンもあったんですけど…やっぱり目から鱗でしたね。京都はなんというか、やっぱり緩いところがあるじゃないですか(笑)
(笑)そうですねぇ、独特の雰囲気がありますよね。
そのまったりとした感じとは全然違う東京のインディー・シーンで、実際にすごいスピードで駆け上っていくバンドがたくさんいて、かと思えばちょっと行き詰まってすぐ解散するバンドもいっぱいいて…その中で自分が音楽を続けている理由って何なんだろうってすごく考えたんですね。その時に、やっぱり誰かに聴かせない事には音楽を続けてゆけないと思って。…その誰かっていうのは誰なのかなって考えた時に、僕は「聴きたい人」だなって思えたんですよ。自分の歌を分かる分からないとかはどうでも良くなってて、聴きたいと思う人がいて、その人と出会える限りは「間違ってなかった」って思えるなって。
そのことに気付いたきっかけは?
実際、東京に行っても別に一切努力しなかったんですね。最初の頃は、京都から『ゆーきゃん』ていうやつが来たっていって珍しいからお客さん見に来るじゃないですか。でもだんだん飽きてくるわけですよね(笑)いつも良いライブをしていればそうじゃなかったかもしれないですけど、僕も何故東京に行ったかというと迷いがあったからで、迷いをそのライブに出したりすると、東京のお客さんて耳が肥えているからすぐ離れていくんですよね。それでも、ちゃんと見に来てくれる人が1人とか2人とか居続けて、そういう人達がいるっていうことで、今までやってきたことが間違ってなかったんだなと思えたんですよ。ライブを見たから好きになりましたとか、ボロフェスタやってる人でしょ、とか、アルバムの推薦コメントを『さかな』の西脇さんから貰って、そのファンの人が気になって聴いたら好きでしたとか、もちろん今一番僕の事知ってる人で一番割合が多いのは『くるり』のレーベルからCD出してる人だから知ってますっていうのだと思うんですけど、入り口はどうであれ、聴いてくれる人がいるとうい事、それが奇跡で。…だって、最初は誰にも聴かせるつもりなく書いてたんですよ、こんなん絶対恥ずかしくて聴かせる事できへんわと思ってたものが。
聴いてくれる、聴きたいと思ってくれる人ができた、、これも色んな変遷がありますね。
そうですね。なんというか、お客さんはどこにいるんやろうってずーっと思ってたんですね、ボロフェスタ始めてからも。本当に自分の事を分かってくれる人、聴いてくれる人、好きになってくれる人っていうのはいないんじゃないかなって思ったんですよ。でも、それは見えてないところに目が行ってたからなんです。本当はいるのに。例えば、ライブに来てくれるお客さんが10人いたとして、でも100人の前でやりたいと思ったら、いない90人の方が気になるじゃないですか。で、100人集めた。今度は1000人の前でやりたいと思ったら900人がいない。その、みんないないことを気にするから、苛立ったり落ち込んだり焦ったり解散したりするわけですよね。でも、10人いるっていうことの方がすごいことじゃないかなって思う。それを東京に行って思ったんですね。3千万人が生きているいるこの街で、今日ここには10人しか来てない。でも、それがすごいなって。3千万人いて、他にいっぱいやるとこがあって、娯楽があって、音楽があって、ギター持って歩いてる人なんてたくさんいるわけですよ。色んな所でイベントがあってライブがあって、そんな中、ここでぼくの声を聴いてくれているっていう事の方が、余程すごいことだなって思えて。
どこに目を向けるか、向ける事ができるかですね。
そうなんですよね。それがあって、東京、もういいかなって(笑)まあ、仕事がなくなったというのもあるんですが(笑)。
(笑)、、東京へは絶対数が多いって事を意識して行ったという感じでしょうか?
そうですね、、まぁ、何かあるだろうなって思ってたんですけど。結局、何かあるのはどこでもあるというか、今日この街でライブのお客さんが0人でも、どこかで僕のCDを聴いてくれてる人がいるかもしれないじゃないですか。そのことを大事にしようって。その人達が僕の何を期待してくれているのか、僕の歌のどういうところが好きなのかということだけを大事にしようと思って。
聴きたい人が聴きたいと思っている事を大事にする、ですか。
う~ん、というよりかは、、その、、今ちょっと言い過ぎたなと思いました(笑)
??
サービス業ではないじゃないですか(笑)
ええ、ええ(笑)
会話と一緒で、ちょっといつもと違う事言ったら相手も「え?」って思うじゃないですか。「こいつ、なんで今日そんなこと言うんやろ?」って。けども、それは喋ってるのが僕だから聞いてくれる。で、自分の中にあるものが今日と明日で180度違っていても、それはやっぱりそのまま出すべきものだと思うんですね。その上で ― これはもうここまで来ると自信でしかないですけども ― 左180度に向けて歌を歌っていて聴いてくれる人がいる、右180度に向けて歌っても左の人は聴きに来てくれるかもしれないし、違うと思って聴いてくれないかもしれないけども、右にも聴いてくれる人は多分いるだろうって。
あ、なるほど。どんなことを歌っても聴きたいと思ってくれる人は必ずいる、その事が大事ということですね。
それと、ライブを年間100本とかやり続けて来て、「今日のライブ良かったな」とか、「今日のライブいまいちだったな」とか思うじゃないですか。その、「今日のライブこうだった」っていう感覚をあんまり信じなくなってきましたね。楽しかったっていうのはすごく大事なんですけど、むしろ、その時のライブを録って、その音源を後から聴いて良いって思うような感覚 ― ちょっと客観視した時の感覚を最近は大事にしてますね。自分も自分の歌に対してリスナーの所にまで降りていくというか。自分を出しきれたとか、うまくやれた、ということよりも、“この時のこの曲のこの響きは良い、こういう風に録った曲は良い”と思う感覚のほうが、”音楽”にとっては大事なんだろうなあと。
その時に出た自分を“リスナー”として聴くわけですね。
そう、自分が十分に表現されているかではなくて、純粋に音楽として聴けるなぁと思えるか。僕はこの音楽聴けるなぁと思った。で、誰か友達がこれを聴いて良いなぁと言った、全然知らないライブのお客さんにこの曲を聴かせて良いですねと言われた。それだけで、「良い」が成立するなぁと思えて。
ああ、なるほど…リスナー視点で「良い」を感じられるかですね。ホントにその通りやと思います…ちなみに最近作られたライブ音源集の『To The Sea』もそういった観点から作られたんですか?
そうですね、あれは本当に小さなレコーダーを置いて、いろんな所で録り貯めたやつを聴いてて、結構間違っているとことか、コップの音とか、子供の声とかも入ってて、そういうのも全部含めて「これ、いいなぁ」って、「耳にいいなぁ」って思って、
それ自体が味になるというか、ライブ感があって。
そうですね。それを知り合いのミュージシャンもエンジニアもやっている人に、とりあえず一回聴かせてみて「これ、どう思う」って訊いて、「これ、いいよ」「じゃ、出そうか」って(笑)
なるほど(笑)

「都雅都雅」のPAさんに一回怒られたことあります(笑)

音源といえば話は変わりますが、ゆーきゃんさんは透明感溢れる歌声や囁くような歌声といった独特のスタイルをお持ちですが、このスタイルとしては変わらずに来たのでしょうか?
最初の頃は頑張って歌ってました(笑)声を張って歌ってて、でも、そもそも歌が上手じゃないらしく、満足いくようにずっと歌えなくて。でも、自分の中で鳴っている音ってあるじゃないですか。その、まだモヤモヤしているメロディとか言葉があって、それを一番楽しく伝えるための音があるはずと思っていて…ギターとかってすごい色んな音色が出ますよね、エフェクターとかもありますし。でも声って、一通りしかないのかなぁって思って。まぁ、声色とかありますけども、歌を歌う時に自分の中の音色って何だろうと、しかも自分が出せる一番良い音色ってなんやろうなってずっと考えてて。それで、ある時ライブに向かう電車の中で、“鼻歌”やなと思ったんですよ。自転車に乗りながら鼻歌を歌っている時の自分の歌が、多分一番正しく歌えてるなと思って。だからライブも鼻歌でやってみようと思って。
ライブを鼻歌で、ですか。
で、すごいちっちゃい声で歌ったら評判が良かったんです。それからですね。でも、その時は本当にちっちゃくて、「都雅都雅」のPAさんに一回怒られたことあります(笑)
(笑)もうちょっと出そうかって感じで?
「自分、もうちょっと張ろうや」って(笑)声に合わせてギターもすごいちっちゃかったんですよ。。子供用のクラシックギターをなぞるように弾いていて、「自分、ギターの弾き方知ってんのか」みたいな(笑)
PAさん、こらこらって感じですね(笑)でもそれが評判良かったと。
ってな事もあったんですよ(笑)でもそこから少しずつ、声量もギターの音量も抑揚を付けるようになって。ある時は、本当にそのリミッターが外れて叫んだりもするんですが、それはもう周りの音に感化されて、自分も上がるという時ですね。基本的には、その時に自分が出したい声を出していると思います。
スタイルの確立としては鼻歌からというわけですね。
そうなんですよ。…でもこの間『bloodthirsty butchers』の吉村さんに「ゆーきゃんさ、俺、ゆーきゃんがどうやったら良くなるかずっと考えててさ、あれだよ、とりあえずパーマとファルセット止めようよ」って言われて(笑)
ええー!!いやいや(笑)
「全否定か」と思いました(笑)
そんな…そこがエエとこなのに(笑)
「いいんだからさ、パーマと裏声止めたらもっとよくなるよ」って。「なんだろう、それ」って思いました(笑)
いやいやいや(笑)
いやでも、吉村さん時々真顔で冗談言わはるから冗談なのか(笑)…でも「どっちも出来たらいいよ」って事は最終的に言われましたね。
なるほど。でも、ずっと考えて貰えるっていうのは嬉しいことですね。これもなかなかの変遷があって…
そうですね、、でも結局は歌声も曲と一緒で、自分の中にある音しか出せないんですよね。その音を、自分の中にある気持ち良い音を蓄えたいという意味でヴォイトレしたいと思った時期もあったんですけど。昔『オーティス・レディング』みたいな歌い方ができたらいいなって思ってたんですよ。でもそれは無理やって分かってて(笑)
いやー、でも本当にゆーきゃんさんの曲は落ち着いて聴けるなって思ってたんですけど、張り上げて歌うこともあるって聞いて、どんな風になるんだろうと思いますね(笑)
どうにもならないですね(笑)
(笑)
なんというか、すごいすっとんきょうな感じになって終わります(笑)
いやいやいや、そんな(笑)ちなみに、影響を受けたアーティストはいるのでしょうか?
自分が一人で歌おうと思わせてくれたのは、『エリオット・スミス』、『キャット・パワー』です。それから『ニック・ドレイク』の「ピンク・ムーン」、それと『ジョン・ジルベルト』の「声とギター」というアルバムを聴いたときに、日本語ヴォーカルで、こえがダイレクトに届く音楽をギター1本でやりたいということを考えました。
全編弾き語りのアルバムですね、なるほどなるほど。