スペシャルインタビュー ばんばひろふみ|スタジオラグ

スペシャルインタビュー
ばんばひろふみ | スタジオラグ

スペシャルインタビュー ばんばひろふみ

2012年10月17日にニューアルバム「メイド イン 京都」をリリースするばんばひろふみ。「ここ=京都から音楽を発信したい」。ばんばひろふみのそんな想いから、京都で制作された本作。RAG代表・須田晃夫との共同プロデュースにより、京都を拠点に活躍するミュージシャンを中心にレコーディングが行われた。今作への想い、そして幾多の経験を経た今だからこそ語られる熱い言葉の数々が胸に響いた。

「京都の良いミュージシャンを紹介する一つの橋渡し」がしたい。

今回ラグにて音源制作させていただき、本当にありがとうございます。このようなお話しをいただけ、我々としては本当に貴重な機会をいただけました。ラグやラグ代表の須田や取締役の河上ひかるとは古くからのお付き合いなのでしょうか。
いや、すごい浅い。社長よりもひかるさんのほうが不思議な縁があって。今、ペット関連の仕事もやっているんやけど、その繋がりで訪ねて来た芦屋の女性がいて。その人は高校生の頃ぐらいに僕のおっかけをしていたそうで。大阪にあったヤングジャパンという、僕らの事務所に出入りしていたみたいで。それで、今僕がペット関連の仕事もやっているということで、彼女が訪ねて来てくれたわけ。その彼女の友達がひかるさんやったんです。

実は今まではラグ自身はそんなに付き合いはなくて。昔、ジョン・レノンの命日の日にライブを1、2回やったぐらいしかなくて。その時は社長にもひかるさんにも会ってなくて。で、芦屋の女性の件がきっかけで、ラグのひかるさんと繋がって。

ちょうどその時、ひかるさんがプロデュースした「慈愛LOVE」のアルバムを作った時やったんです。僕は神戸のラジオ関西で、「ばんばひろふみ!ラジオ・DE・しょー!」という番組をやっているので、そこに彼女が出演してそのアルバムの話をしてくれたり。そういうところから付き合いが始まったんです。

で、ギラ・ジルカというジャズボーカリストが昔からの知り合いで、ラグでライブをやるというので見に行ったわけ。そしたら、そこに今回のアルバムにも参加してくれてる小倉悠吾くんとオーボエの上品さんがいたんです。そこから小倉くんのソロライブを観に行ったりして。それで付き合いができたら、彼が僕と一緒にライブをやりたいと言い出して。無謀な事を言いよるな~どないするんやろう?と(笑)そしたら、彼がメンバーを集めてくれて。それがすごく面白かった。僕の世代のファンの人なんかも、すごい喜んでくれて。お客さんも僕も若いアーティストにすごい触発された。

それで、ふとレコーディングをしようかと思ったわけ。ただ、僕の中ではその時は全然具体的になってなくて。アルバムを作るっていうのは、本当に大変な作業っていうことは、長年やっててわかるんだけど。そんな中できっかけとして小倉君らと、まずは一曲でも作れればいいなと思ってそういう話をしてたの。そしたら、僕の頭の中に突然「メイド イン 京都」というタイトルが出てきたわけ。それで、今度は須田社長がここへ来て、「それは悪いけど任してられない。」「私がやらないとバンバンが恥をかく。」「私が責任を持ってやる。」と言うわけ。「本当に?」みたいな。まぁ、きっと出て来てくれるやろうなぁとは思っていたけど。でも、本当に出てきてくれて。そしたら、一緒にプロデュースしようかとなって。もうそこからはマジ話やな。夢の話から、今度はマジな話になって。じゃぁ、具体的に事務所やらいろいろあるから、CDの流通のことを含めて、どうしようかっていう話が始まった。

それで、僕が8年やっている円山音楽堂でのコンサートが10月の13日にあって。そこでお客さんが3000人くらい集まるからCDを聴いて欲しかったわけ。具体的にことが動き出したのが6月中旬頃やから、制作期間としては、ある意味ギリギリだよね。そういう状態で出発したから、どうなるかっていうのは僕も須田社長も分からなかったと思う。分からないけど、なんかがむしゃらにやっていくうちに、「神が降りたな」と思ったね。行く道全てに、「モーゼの十戒」じゃないけど、海が裂けていくっていうか。39名ものミュージシャンが、スケジュールを調整するだけでも大変だけど、それをディレクターの木村さんがいろいろ采配してくれて。「よくできた!」というのが感想だね。やっぱり、須田社長にも俺にもスタッフにも神が降りてたね。
「ここ=京都から音楽を発信したい!」と思われたきっかけをお聞かせください。
当時、フォーククルセダーズ(以下、フォークル)とか、はしだのりひことシューベルツ(以下、シューベルツ)というグループがいて、ヒット曲を出して、関西フォーク、京都フォーク、特に京都という地名がものすごくスポットライトが当たっていたわけやね。もともと僕は京都出身なんだけど、レコード会社も逸材を京都に探しにきとったわけ。フォークルやシューベルツに次ぐものがいっぱいいるんじゃないかと。京都はいろんなグループがいたからね。そんな中で僕らはダイムコンサートというコンサートで、自分の口から言うのもなんやけど、ジャッケルズといって、僕がやってたグループがヘッドやったってわけ。だから当然誘いが来てクラウンというレコード会社が、 パナムレーベルというフォークのレーベルを立ち上げたいということで、僕らが入って、それで一発目を出したわけ。まぁその時はまだ立命の大学生の3人のバンドやったんやけど。それから今度はRCAに移って、二枚を出して、というのでプロになっていたわけよ。そこから京都というのは無くなってしまっていったわけ。でも僕は京都には住んでいるけど、ここは自分の居住地であって、この街が好きだからいるんであって、活動は京都以外にやっていたし。別に京都から何かを発信しないといけないという思いはあまりなかった。ただ、小倉くんとかとライブをやったときに、「京都もすごいやん!」て、「いいミュージシャンいっぱいいるやん!」て。そういう人たちを世に出していく、紹介していく一つの橋渡しというか、そういうことがしたいなという思いが出てきた。で、そういう子らとアルバム作ったらおもろいんじゃないかと。それで集まってくれたのが若い子たちも含めて、ベテランミュージシャンなんかもいっぱいいるわけよ。そういうミュージシャンは東京へ行って、また戻ってきてたりだとか。いろんな音楽の人生を送っているような逸材が、京都にごろごろおるわけよ。そういうメンバーで、改めてレコーディングができたというのは、「じゃあこれでいこうやっ!」て。「京都すごいやろうっ!」て。それが自分にとっての原動力になったというか。京都から発信しようって今まで思ってなかったけど、小倉くん達とライブをやってそれを思うようになったね。というか、そう思わないといかんと思ったね。
京都の制作環境やクオリティは上がってきているんでしょうか?
上がってるよ、すごい上がってるよ。みんな素晴らしいと思うよ。それで、今回は1つの賭けやってん。今までは、自分のシングルとかアルバムを出す時に、アレンジャーというのは大体自分が知っているアレンジャーで、「こういう曲はこの人に頼もう」「ああいう曲はあの人に頼もう」っていう感じで。そしたら、自分が思っているアレンジとそんなに違わないアレンジが来たりして。ミュージシャンも東京のスタジオミュージシャンで。そういう人たちは、だいたい卒なくうまくやってくれる。でも今回は、アレンジも含めて本当にどうなるんやろうと。演奏もどんな演奏になるんやろうと。不安というか、もう読めない。読めないけど、そこへ踏み込んでいくゾクゾクするような緊張感ていうか。それは今までで初めてやね。自分にとってもチャレンジやね。だけど、予算組みも全部終わっていくわけやからね。当然、プロだから、仕事だから、予算組も終わって、それでCDを出さないとあかんわけやから。良くないものが出来てしまったとしても、出さなあかんわけやから。作って、「あきませんでした」、それで、制作にかかったお金をドブに捨てるのかっていうのは出来ないから。だから、そこは僕もチャレンジだし、須田さんもラグを背負ってチャレンジをしたと思うの。「ばんばがこんな出しよった」て、「須田さんと共同で作って、須田さんて誰や?って」なって。「それはラグのオーナーや」って。そうなったら最悪やん。俺も最悪やん。だから、彼も同じだけリスクを背負ったわけよ。それだけリスクを背負って今回やってくれたわけよ。なかなかそれだけのリスクを背負ってくれる人っていうのは、今はいないよ。それは、彼の男気っていうのかな。彼は昔、僕と顔が似てたらしいけど(笑)
総勢39名が参加するという一大プロジェクトになったわけですが、当初から計画していたのではなかったということですね。
そうや、降ってわいたようなもんや(笑)ある意味、須田さんと、「この指とまれ!」や(笑)それで、やらしてくれって言った人が結局39人いたということやね。
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