スペシャルインタビュー PSYCHO küi METALLICS |スタジオラグ

スペシャルインタビュー
PSYCHO küi METALLICS | スタジオラグ

スペシャルインタビュー PSYCHO küi METALLICS

「終わりそうなになったことが何回もあった」「その度に、いややっぱ俺ら続けたいなと」そうしていつしか辿り着いた、PSYCHO küi METALLICS貫禄の10周年。アニバーサリー・イヤーに2nd Album「IS  (not) DEAD」をリリースした彼らが、過去を、現在を、そして未来を語る。

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バンド結成10周年、おめでとうございます!まずはその歴史をお聞かせいただければと思いますが、結成が2003年なんですね。
佐藤:元々カタカナ表記で「サイコキメタリックス」というバンドをやってたんです。
HIROCK:この2人と、「Band of Circus」のギターの人とかと一緒に。
佐藤:カバーバンドやってたんですよ、その時は。
HIROCK:別のスタジオを使ってたんですけど、上手くなりたいと思ってスタジオラグ北白川店を使うようになりました。
佐藤:違うバンドでオリジナル曲をやってたバンドがあったんですけど、自分の中であまり良くなくなってきて。HIROCKとはカバーバンドで一緒にやってたんですけど、「俺ともっと真面目にバンドやらへん?」ってそこから始まってますね。
2人でオリジナル曲を本気でやるようになって、バンド名の表記が変わったのですね。
HIROCK:最初からバンド名で喧嘩したんですよ。「PSYCHO küi METALLICS」という名前で10年やってきましたけど、そのチョイスにミスってたら「黄昏マンピーズ」で10周年になっていたかもという(笑)
佐藤:2案あったんですよ(笑)
HIROCK:10年続けた結果、「黄昏マンピーズ」でなくて良かったと思います(笑)
「kui」というのは、何語ですか?
HIROCK:元々私達Mötley Crüeが好きで、バンド名に「ü」を付けたかったんですよ。
佐藤:「ü」に「・・」を載せたいなと思って。キ=kiやから、そこに入れてみたら、ドイツ語にそういう接続詞があるらしくって。
HIROCK:その時は知らなかったんですけど、3年くらい経った時に同じバイト先のスタッフから教えてもらったのが、ドイツ語でPSYCHO küi METALLICSって、「頭おかしいやつが輝いている」っていう意味に繋がるらしいんですよ。
佐藤:「ギラギラした頭おかしい人達」っていう意味になるらしいんですよ。合ってるやんと思って(笑)
HIROCK:ただMötley Crüeにつられて付けただけやのに、3年くらい経ってやっと意味が分かるという(笑)
結成当初はどんな活動をしていたのですか?出ていたライブハウスとか。
佐藤:転々としてましたね。出してもらえるとこに、出てたって感じですかね。3年目くらいから、KYOTO MUSEに出れるようになって。当時ライブハウス出るのが難しい時代やって、MUSEは敷居高かったんですよ。BLOW DOWNでブッキングしてた金子さんという人がMUSEに入ってきはって、デモテープ持っていたら出させてくれるようになって。
HIROCK:金子さんがおらんかったら、うちら10年も続いてへんしね。
佐藤:ツアーとかも最初は金子さんが組んでくれたりとか。俺らの中ではどんどんやりたかったけど、「まだ早い」と言われたりとか。
HIROCK:最初に出た時に「お前らは対バンとかするバンドじゃなくて、ワンマンでどーんとやるバンドになれ」って言われて。色々成長させてもらいましたね。イベント初めてやった時に、泣いてくれたもんな。「なんでお前らこんなんなってん!」みたいな。絶対ハミるバンドやと思ったらしいんですよ、ジャンルが他にないんで。
佐藤:10年くらい前ってなると、パンクかビジュアルかみたいなくらいはっきり分かれてたんですよ、シーンが全体的に。俺ら隙間産業やったんで、すごい(笑)ハードロックとかメタルとかやろうと思ったら、皆化粧してたような時代やったから。俺ら結構ハードロック寄りやったから、パンクの中に紛れてるけど、パンクじゃないし、みたいなところはありましたね。
HIROCK:カタカナ時代に、MOLE HILLとかGreen Peas Youngとか対バンしてたんですよ。そういう界隈にもともとは呼んでもらって。
当時高校生くらいで、回りにも同じような年代のバンドはあったのですか?
佐藤:昔は多かったですね。
HIROCK:あの頃から唯一残っているのが、MOLE HILLとうちらくらい?同世代では。
佐藤:モンゴル800のブームが高二くらいで来て、それより前にハイスタがあったじゃないですか。ハイスタの名残があってモンゴル800が来たんで、パンク系のバンドがものすごくいました。
10-FEETのデビューもその頃ですよね。
佐藤:同じスタジオ使ってたんですよ。10-FEETのあとずっと俺らやったんですよ。毎週スタジオラグ北白川店の金曜24時~とか取ってたんです。
HIROCK:それぞれ契約バンドやったっぽいからいつも入れ替わりなんです(笑)
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